初めまして、ワッツァ!けいちゃんと申します。
このブログでは約20年前、当時のgraffitiとゆうものを興味深く見ていたと言う程であくまでもフィクションとしてお届けいたします。
架空の人物や団体のお話ですので間に受けないようによろしくです。
では、始めます。
そもそも予備知識が無い方にはgraffitiと言うものが何なのか。謎だと思います。
そして謎で良いと思います。まあ、一般的にはバンクシーとかそう言うことって理解で間違いでは無いです。ただ、ヒップホップの四大要素ってご存知ですか?
それはMC、DANCE、DJ、GRAFFITIです。一般イメージとしてこれは定着しているのかどうかは知ったこっちゃ無いんですが、そう言うことなんです。
要は歌って踊って音楽鳴らして絵を描くYO!って事ですね。
細かい説明は今後少しずつしていくとして、冒頭の亀の甲羅の壁画を見たことはありますか?約20年前に西多摩付近で謎に描かれていたんです。
その謎を追う為、私は奔走したんですって言う嘘で、実はとある高校の同級生が犯人だったのです。*フィクション
そんな友人と同時期に地元の友達までgraffitiに手を出し始めていました。何を思ったかこれはいかん!時代に遅れる!モテ要素の原石だ!と感銘を受けたのです。
当時は今のようにヒップホップが当たり前とまでの時代でもなく、火がつく手前というか、服装で言えばダボダボファッションと呼ばれたようにアメリカ文化を真っ向に受けて短足日本人が腰履き(腰パン)をして、ガチャガチャベルト(ガチャベル)をたんまり垂らしでっかい服をYOYO言いながら着ていた混沌とする時代でした。(多少背景は曖昧)
とにかく若い頃特有の悪さに憧れて、それが暴走族とかには行かずにヒップホップに流れたのです。なので当時は暴走族が減り、ギャングチームが増えました。その中でもイリーガルでありながらgraffitiの世界観は割とピースな感覚だった記憶です。
とにもかくにもそんな世界に憧れたとあるボーイは処女作を描いたとか描かなかったとか。(上記画像は2001年当時のものです)*フィクション
次回ブログは当時のマスターピース(写ルンです撮影)を何個か紹介します。
スラング用語が不明で知りたい方はコメント頂けたらお返しします。
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